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本能寺の変 [その他]

去年も書きましたが、今日6月21日は本能寺の変があった日です。(旧暦では6月2日ということで、去年は6月2日に書いています。)

本能寺の変は、ご存知でしょうが明智光秀が京都・本能寺に宿泊している主君の織田信長を攻め殺したクーデター事件です。映画やドラマの中での明智光秀の「敵は、本能寺にあり。」と宣言するシーンや、白衣の寝具姿の織田信長が攻めて来た軍勢が明智光秀のものと知って「是非に及ばず。」と言うシーンなどがとても印象的です。

一方で、織田信長の有力家臣であった明智光秀がなぜ反逆を起こしたかという原因については諸説が多数あり、定説と呼ばれるものはありませんね。光秀が主君・信長に取って代わろうとした野望説、これまでの仕打ちに耐えかねての怨恨説、今後の自分の将来を悲観しての焦慮説、光秀の単独犯行ではなく首謀者(足利義昭、朝廷、豊臣秀吉、徳川家康など)が別に存在する黒幕説などの色々な説があります。

歴史好きなおっさんである、「歴女」ならぬ「歴おじん」としてはとても興味のある事柄ですので、これまでに結構色々と本を読んだりしていますが、「うん、これだよ。」という全面的に同意できる説はありませんね。

織田信長だけでなく後継者の信忠も一緒に葬ることができる(これがあったおかげで秀吉は天下を取れたのです。)、そのための軍勢を怪しまれずに間近に配置できる、というチャンスは狙ってできるものではありませんので、そういったチャンスがめぐった光秀が一か八かで主君に取って代わろうとした野望説がこれまでの自分の中でもっともしっくりときた原因ですね。で、普通ならうまくいくところ、同じ状況なら同じ行動を起こすであろう豊臣秀吉に、思いもよらずおいしいところを持っていかれたのではないでしょうか。(柴田勝家には無い考えがあの行動の差になったと思います。)

本能寺の変は、この他にも織田信長が死ななければどうなったか?や、なんで豊臣秀吉がああうまく主君の織田家に取って代われたか?などといった色々な思いを引き起こします。今日はここいらで止めておきますが、いずれまた歴史に関する私の勝手な思いをブログに書いていこうと思いますよ。年金、労務に関することは勝手にいい加減なことを書くわけにはいきませんが、専門外の歴史に関しては好き勝手に書いてもいいでしょう。(いいわけがない、という気がする。)

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