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前回のブログに続き、今日も歴史に関するニュースのご紹介の歴史ブログです。

ニュースは、小牧山城で城郭の石に書かれた墨書として日本最古の石材が見つかったというもので、こちらです。

信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

記事は、

〉 愛知県小牧市教委は8日、織田信長が1563年に築城した同市の小牧山城で、城郭の石に書かれた墨書として日本最古の石材が見つかったと発表した。

〉 本丸北西側の斜面で、堆積岩の一種(縦60センチ、横35センチ、高さ20センチ、重さ93・5キロ)の石材に、縦書きで「佐久間」と書かれていた。城郭の墨書は、信長が1576年に築城を始めた安土城のものが最古とされていた。

〉 市教委によると、「佐久間」は信長が家督を継ぐ以前からの重臣、佐久間信盛(1527~81年)を指しているとみられる。小牧山城は信長が手掛けた最初の城で、奈良大学の千田嘉博教授(城郭考古学)は、「最も目立つ工区に重臣の佐久間信盛を割り当てて仕事をさせた。信長の巧みな人心掌握術をうかがわせ、興味深い」と話す。10~22日、小牧市歴史館(0568・72・0712)で公開される。

とあります。

小牧山城といえば、美濃攻めのために信長が清洲城から小牧山城に拠点を移すときに、最初はもっと遠くて高い山に城を作って拠点を移すと言っておいて移転に不満を感じる家臣の声が高まったところで、今度は城を築く場所を小牧山に変更すると言って、「遠くて高い山はごめんだが、小牧山なら近いし低いからいいか」と家臣の小牧山城への移転の同意を得たという信長による心理作戦のエピソードがあります。

この時期の佐久間信盛は信長家臣の筆頭格でしたから墨書きで書かれた「佐久間」は、まあ信盛を指すのでしょうが、最も目立つ工区に重臣を割り当てて仕事をさせたから信長の人心掌握術が巧みであったというのはよく分かりませんね。

信長でなくてもよほどぼんくらな戦国大名でない限り、重要で目立つ仕事には信頼できる家臣を当てるのは当たり前でしょうし、それをもって巧みな人心掌握術だなんて言えるのでしょうかねえ。

このように重用されていた信盛ですが、この後には本願寺攻めの不首尾などを攻められて織田家から追放されてしまうのでした。

今も昔も、人間の未来なんて分からないものですね。

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