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秀吉は秀次に切腹を命じてはいなかった?! [その他]

豊臣秀吉がおいの関白秀次を切腹させたは、後から生まれた実子の秀頼にあとを継がせるための邪魔になったからと思われていますが、実は秀吉は秀次を高野山へ追放しようとしただけだったのに、その意図に反して秀次が自ら腹を切ったのだという新説が発表されたというニュースがありました。

豊臣秀吉「秀次に切腹強要」に疑義 国学院大准教授が新説 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

今日は雑談ブログですから記事の引用はしませんが、秀吉が高野山の僧に秀次の料理人や世話係などを用意してほしいと書いた書状から、数日後には切腹させる人に料理人が必要ないだろうから、秀吉は秀次を長期間高野山に住まわせようと考えていたと思われたり、秀次切腹の情報を最初に朝廷へ伝えた資料からは、秀吉が「切らせた」のではなく、敬語の「お切りになった」と読むべきと思う点などから、秀次が身の潔白を証明するために自らの決断で切腹したとみるべきだろうそうです。

この記事を読んでの感想は、それならじゃあなんで望んではいなかったのに先走って死んだ秀次の首がわざわざ河原にさらされたり、秀次の妻子や部下、与力大名の多くが道連れになって悲惨に殺されちゃったりしたの?というもので、Yahoo!ニュースのコメント欄にも同じような疑問がやっぱり書き込まれていました。

Yahoo!ニュースでは疑問が解消できませんでしたが、MSN産経westの元記事はもっと長く書かれていたので、その理由も書かれていたのを発見しました。

豊臣秀次切腹に新説…秀吉は命じず、身の潔白訴え自ら切腹か 国学院大准教授が「太閤記」に疑義 (2/3ページ) - MSN産経west

秀次が腹を切った青巌寺が秀吉が生母の菩提寺として寄進した寺院だったので、秀吉には神聖な場所を汚されたという思いがぬぐえず、秀次の切腹後にその妻子を苛烈に処刑したことはこの怒りに基づくものだと理解できるそうです。

ふーん、それなら納得できるよ、と思いたいところですが、ちょっと(だいぶ?)弱いんじゃないですかねえ。

一般的に織田信長には残酷で怖いイメージがあるのに対して、秀吉には明るく親しみやすいイメージがありますが、秀吉にもけっこう残酷な面があります。

わが子可愛さのあまりに、言うことを聞かない甥っ子が許せなくてその怒りが秀次の一族郎党にまで及んだという、これまでの考え方の方がしっくりくるように思います。

切腹を命じたのか、それとも切腹しちゃったのか、どちらが真実なのかタイムマシンでもできない限り分かりませんが、だからこそ歴史には色々な考え方があって楽しいのでしょうね。

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